長くなりますが・・・

  「あるがままの自分ではいけない」  ありのままの自分を あるがままに愛せない それはなぜだろう  思いつくままにで構わないから理由や原因をあげてみる  どうしても見つからないなら 今度は外側に眼を向けてみる  自分が嫌いな人や避けたい人 むかつく人や気に入らない人  思い浮かべるなり 書き出すなりして 明らかにしてみる  次に その理由を考えてみる  出来るだけ具体的に 書き出す  そして 書き出されたその理由こそが  「ありのままの自分ではいけない」理由  そこに気付くことが「自分を愛する」ための第一段階  それじゃあなぜ・・・?  そこからが第二段階  なぜ「そんな自分ではいけない」という考えを抱くようになったのか・・・  その原因を探って行く  外側にではなく 自分の中 内側に・・・      体験をする為にこの世に生を受けたボクらは  純粋に「○○とはどういうものだろう・・・?」  それを味わうためだけにこの世界に居る  そしてその望み通りの体験を経験する  「味わう」という行為を通じてその願いは達成される  スリルや興奮を求めて お化け屋敷や ジェットコースターを楽しんだり  ラーメン屋の行列に並んだりするのと 何ら変わらない  でもそれらが違うのは  「味わった」という感覚以外には何も残らないものであり   そしてそれを了承しているというところである   割り切っているからこそ楽しめるともいえる   作り手や 意義 システム e.t.c   理屈や何もかもが眼に見えるカタチで其処に在るものだから ともいえる   そこでその観点を「人生」という枠に当てはめ熟女てみるとどうだろう     理論は未だ宇宙のカタチにすら触れられず   確かなものを挙げることが難しいような現状   明らかなのは 恐れを肥えさせるばかりの現実   その全体像が明らかになってこその安心感が生まれ   その安心感が在るからこそ楽しめるスリルというわけだ   だから   単純明快では済まされない 現実があり   いつまでも払拭できない 過去があり   実現不可能な夢の掃き溜めになっている 未来があるというわけだ   全体像が見えないばかりに リアル以外には受け取れない「出来事」によって   体験や経験が当たり前に機能できない   それだけでは済まされないという側面が 同時に生まれている   その出来事に触発された感情が加わって   心象 思い込み のもと   棚が生まれる      その記憶は小さな小川に流れ着いた小枝である   川の流れにのって色々なものが流れてくる(ただ起こりくる出来事)   その小枝があるものだけをつかまえる   初めは小さかった出っ張りがやがて   川の流れ自体を 川のカタチ自体を変えてしまう程の大きな塊になる   歪なメル友流れ スムーズじゃない流れ   それが 「自分を愛せていない」自分   本来の流れを 元々の流れを知っている   シンプルさや スムーズさ故の心地良さを知っている自分だからこそ   現状の流れがどこかおかしいと感じる   それでもこれが自分だからと そんな心地良さを切り捨て 今を我慢していることさえ気付かないままクルシサを0として生きる   おかしい所など在る筈も無いのに 苦しいのはおかしいと考える   自分はこれでいいのだから問題は外側にあると考える   それと思われる原因を見つけ出す   判断し 裁き 自分の正当性をより強固にしたと誤解する      我慢をしている自分に 自分で気付き 自分が癒してあげること   初めから 幸せ 愛 そのものであった 自分に戻る道を 自分で閉ざしている   残された道で苦しみとワンセットの喜びをてにしようともがいている   そうなってしまったのは誰のせいでもないということを知ること   ただそうなっていただけのことと知ること   努力して幸せはてにいれるものではないということを知ること

Filed under: 未分類 — admin 2:37 PM
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